昭和41年08月06日 朝の御理解
昨夜の壮年部会、近頃珍しい本当に信心共励が出来ておりました。その中に、北野の福島さんが、人間性についてと、云った様な、云うなら理屈ばったお話をしておられましたが、確かにお互いが人間らしい生活をさして頂く、人間性を無くした生き方ではいけないと、云う様な、お話をしておられましたけれども、結局その問題は、人間性に対するところの見解の相違なんですね。
人間だから人間らしく、生き様と思えば、この位の事もなからないかんと、例えて云うならば、最近お道でも人間らしゅう生きる為に、お道の教師も家族も、お休みがなからないかん、盆もなければ正月もないと云った様な、又給料制にしなければいけない、賞与制にしなければいけないと、云った様な話も、だんだん出るくらいです。ですから是は私が思いますのは。
私共が云うところの、人間性と云うのは、人間とは万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心せよとおっしゃる。その万物の霊長としての値打を、創って行こうとするところに、人間性と云うものを持って来なければ、只人間らしい生き方と云うのが、軽率になってしまったんでは、人間性を人間性じゃない霊性と申しましょうかね。霊長としての霊性を。失ってしまう様な方向に向かったんでは、道の比礼もなからなければ、信心を頂いて居る者の値打もないと、云う様に説明したんですけれどもね。そういう様な話が取り上げられました。
次に人の悪口を言うと云う事。悪口と云うても色々とその中には許されない悪口もある訳ですね。悪口だけは言わん様にしたいとそう思っているけれども、つい悪口が出て来ると、その悪口がですね、自分の顔を立てたい為に人の悪口を言う。人を陥れる為に悪口を言う、もういよいよ是は生きる信心しておってもそういう人がある。人を陥れる為に悪口を言う。自分の顔を良くする為に悪口を言う。
人の悪口を言う者があったら、その場を逃げよと教祖は仰っておられます。本当にそう云う様な話が出てみると、人の悪口のだんじゃないなあと思うですね。まあ云うなら資格はないんだから。けど又自分の顔を立てるとか、自分の顔を立派にしようとか人を陥れると云った意味ではない悪口もある事はありますよね。そういう意味合でならば、私は悪口の言えれる資格を頂きたいと思うですね。
本当の悪口を言わず相手の人が、例えば立ち直られるとか改められるとか言う様な意味での悪口、まそういう資格が誰が有るかと云うと、実際無いのですからぎりぎり自分と云うものを、本気で見極めた時にです、例え人の事でも言うだんじゃなか。人の悪口でも言うだんじゃなか。それはもう本当に人道に外れた事を、言うたりしたりした人を見たらつい悪口を言いたくなるのだけれども、自分の心の中に果してそういうものがあるか。厳密に言うたら、それこそ悪口を言えれる資格の者は一人もない筈だと。
キリストの言うておられる中に、或商売女の人皆んながののしっておる時に、それをののしられる資格の者だけが、そういう様なその形に現れてはいなくても、心の中にはこの女の人と同じ様なものを、お互いが持っとらしないか。それがないならばない者だけが、その女を打てと云う訳なんですよ。結局はそれを打てる資格の者が一人もおろう筈がないのだと、まあそういう意味で御座いましょうかね。
是は信仰的に、自分をいよいよ追求したところから、結局そうなって来るだろうと私は思うのです。まあそういう意味合ですね。私達の人間性を、例えば一般に云われている、人間性云う様な事だったらですね、自分を深く反省すると云った様なものが無くなる。自分をいよいよ追求するとか、精進するとかと云うものが無くなって来る。ですからもちろん、見解の相違ですけれども。
焦点を人間は万物の霊長であるから、万物の霊長としての値打を、作らせて頂こうとする生き方こそ、本当の事だと思う。そういう見方をさして貰うてからの人間性、と同時に人の悪口を言うなと、又言える資格はないと。と云ういよいよ自分を追求したところから、成程その場に居ったら逃げると云う様な、心掛けと云うかね、そういうものが必要だと。その中に私は人の悪口の云えれる、資格を頂きたいと云う様な、高いところに自分の精進をですね、置かなければならん。
いよいよ自分と云うものを追求して、今日はどちらに致しましてもです、人の悪口でも言いよる人が居ったら本当にその場を逃げさせて頂こうと。人の悪口なんぞ決して言わんぞという、ひとつそういう事実でありたい。教祖の仰っておられる御教えを忠実にその意味合においては今日はその行をし抜かせて頂こうと云う風に発表者の話を聞きながら思ったんですけれどね。
私は人の悪口を非常に言う方ですけれども、キリスト的な追求したら私だって言う資格はないですけれども、自他共に助かって行く事の為には、私も随分人の悪口を言うんです。けれども今日は例えばそう言う風な事、もっと宗教的にですね、自分と云うものを見極めたい、自分と云うものを掘り下げてです、それとても言う資格の無い私、もうひとつどうであってもそれはその人の為であってもです、もう悪口は今日だけは言わんぞと云う一日で行きたいと思うとりまず。
どうぞ。